歴史マップ

画像をクリックすると拡大表示します。
pdfファイルではさらに拡大してご覧になれます。

①伊達博物館

宇和島伊達家の珠玉の宝物を展示。宇和島市施行50周年の記念事業として、昭和49年(1974)に伊達家屋敷跡に建設された博物館。館内は3つの展示室に分かれ、歴代藩主の薫り高い文化遺産約4万点を年2回展示替えし、一般公開を行う。年に1回は特別展が企画される。

 

②伊達宗城と西郷隆盛の会見の場

慶応3年(1867)、当時薩摩藩士であった西郷隆盛は2月23日に宇和島を訪れ、京都での※四候会議開催の協力を求めるため、翌日24日に伊達宗城と会見した。西郷隆盛の来宇については、伊達家資料の「藍山公記(らんざんこうき)」にも記されている。もともと伊達家の邸内に大きな松が立っていたが、この松の木の下で二人が対談したと伝えられている。

※四候…島津久光、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城をさす。

 

③児島惟謙 像

大津事件で司法権の独立を守り「護法の神」といわれる。宇和島藩士の下級武士の家に生まれる。剣術に優れ、4度脱藩し勤皇の志士として活躍。明治4年(1871)司法官、同24年(1891)大審院長となる。同年起こった大津ロシア皇太子襲撃事件では、政府からの圧力に屈することなく司法権独立の基礎を築いた。


④宇和島城天守

現存12天守の一つ。秀麗な天守は鶴島城とも呼ばれる。慶長6年(1601)築城の名手藤堂高虎により築城され、元和元年(1615)仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を

拝領、翌年入城した。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。その姿を現在に残している。

 

⑤木屋旅館

明治44年(1911)創業。政治家・犬養毅や作家・司馬遼太郎など多くの著名人が宿泊した旅館。平成7年(1995)に廃業したが、平成24年にリノベーションを行い再生オープン。平成26年(2014)に国の有形文化財(建造物)に登録された。平成29年(2017)には日本政府観光局から「外国人観光案内所」の認定を受け、英語対応できるスタッフが常駐し、四国西南部の広域案内サービスを提供する。

 

⑥龍華山等覚寺

宇和島伊達家初代藩主・伊達秀宗が生母を弔うために元和4年(1618)に建立した。初代・2代・3代・4代・6代・8代藩主の墓がある。少し離れた金剛山大隆寺には、5代・7代・9代の墓と山家清兵衛の墓「和霊廟(われいびょう)」もある。


⑦穂積橋

宇和島市出身で日本初の法学博士である穂積陳重の意志を受け名付けられた橋。陳重は晩年、市民から銅像建設計画が進められた際、「老生は銅像にて同郷万人に仰ぎ視らるるよりは、橋となって公衆に履(ふ)んで渡らるるを以て無上の光栄とす」と固辞。穂積の思慮深さに感銘を受けて銅像計画を中止し、昭和5年(1930)の本開橋の架け替え時に「穂積橋」と改名した。平成30年(2018)に国の登録記念物(史跡)に登録された。

 

 ⑧大和田建樹詩碑

明治の文学者として多彩な業績を残している大和田建樹の詩碑や、宇和島で最初に走った機関車を復元した模型、闘牛のモニュメントがある。大和田建樹作詞の「鉄道唱歌」のメロディーを聞くこともできる。

 

⑨宇和島市立歴史資料館

明治17年(1884)に宇和島市広小路に宇和島警察署として建築された。市内の70%が焼失した戦災も免れ、昭和28年(1953)当時の南宇和郡西海町(現:愛南町)役場として、同町に移築。老朽化により取り壊しの話が出るが、市内だけでなく県外からも保存の声が起き、保存運動が展開される。平成4年、移転復旧工事が始まり現在の建物として完成。平成8年(1996)に愛媛県で初となる国の登録有形文化財に登録された。

 


⑩伊藤大輔生誕の地

(元結掛児童遊園)

伊藤大輔は、明治31年(1898)宇和島市に生まれ、松山中学に入学。早くから文才を発揮し、池内義豊(伊丹万作)らと回覧雑誌「楽天」を発行していた。青年期には演劇に傾倒して小山内薫の指導を受け、大正9年(1920)に小山内を頼って上京し、松竹俳優学校に入学。やがてシナリオを書くようになった。何度かの移籍を経て日活京都撮影所の時代劇部に入った伊藤は、かねて目をつけていた大河内傳次郎とコンビを組み、殺陣を見せ場にした迫力ある「長恨」を作ったところ大ヒットし、以後、大河内を使って26巻にもなる「忠次郎日記」シリーズを撮った。伊藤は一時期、長いスランプに苦しんだが、昭和23年(1948)、坂東妻三郎による「王将」を撮り、健在ぶりを示した。無声映画時代から映画史と歩調を揃えながら72歳まで映画を撮り続けた伊藤は、日本映画の発展に貢献したとして、「映画の殿堂」入りも果たしている。